殺す男と殺される女

今日は、全然別のソースから「殺す男と殺される女」という話を読んだ。

1つ目はモンテ・クリスト伯<2>
山賊に加わっている青年の恋人が、首領にさらわれる。山賊の掟では、さらわれた女性はさらった男と仲間達に輪姦されて、殺されるか、身代金と引き替えに返される。
青年は首領に特例を認めてくれるよう頼むが、首領は青年を騙して、恋人を弄ぶ。
それを知った青年は、これ以上恋人が辱めを受けないように、殺してしまう…

私がこの話しで「殺す男と殺される女」を実感したのは、次のくだり。

恋人の父親が身代金をもってやってくる。青年は事情を話し、自分を殺してくれというが、父親は青年に感謝する。
そして二人で娘を埋葬した後、父親は首をくくってしまう。
ちなみに青年は、復讐を恐れる首領によって殺される。

殺人を行うのは、どんな民族、文化圏であっても圧倒的に男性が多い、というのはすでに定説と化してきている感じだけど(例えばヒトがヒトを殺すとき-進化論からのアプローチ-)、青年が恋人を殺す理由とか、父親がそれを非難するどころか感謝する、っていう点に「殺す男」の理論が際だっている。
被害者(女)のためというより、自分(男)のため、男の「面子」のために「殺す」。

と思っていたら、昼休みに何げなく見てたサイトにこんな記事が↓
介護殺人や安楽死、実は男が女を死なせてる

これって、まんま「半落ち」の世界。
確かに、半落ちも男女逆だったらこの物語が成り立つかどうか、微妙かも。
元刑事のアルツハイマーの夫を殺した妻が、空白の2日間、何をしていたのか?
うーん、同じことをするだろうか?
そして観客はその物語に納得するのか?全く同じ感想を持つのか?

ところで、介護者が被介護者に対して殺人に至らないまでも、暴力をふるうとか、ネグレクト、言葉の暴力なんかにも男女差があるんだろうか?
介護殺人―司法福祉の視点から」にはこの辺のことも書いてあるのかなぁ。読んでみよう。

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この記事へのコメント

amasaki
2005年06月17日 17:25
 目にとめて下さいましてありがとうございます。
 やっぱり驚きますよね、「介護の現場でも殺すのは男だ」みたいな図が出てくると。
 著者は過去の新聞記事から「親族による、介護をめぐって発生した事件で、被害者は60歳以上、かつ死亡に至った」事件だけを拾い出して集計し紹介しています。
 死亡にいたらないケースは除外されていますし、介護者による虐待の性差はどうかまではふみこめていません。
 でも、先行する研究や、関連する研究についていろいろ紹介もありますので、より詳しく見る手がかりはあるかもしれません。(図書館に返してしまったのでうろ覚え(^_^;))
nouko
2005年06月17日 20:23
コメントありがとうございます。
amasakiさんのサイトはいつも拝見させていただいてます。
無精な私には、情報量が豊富なamasakiのサイトは本当にありがたい存在です。
「介護殺人」では虐待の性差に関するところまでは踏み込んでないんですね。
でも手がかりになる情報はありそうなので、できれば入手して読んでみようと思います。
※面と
2009年01月21日 22:55
オラウータンの記事から、男女についての話しがでてくるなんて、驚き。
リアルなこととしては、とっても大事な問題だと思います。男の義理とかメンツとか都合とか女の事情より表に出てきますよね。それしかないみたいな論理の広がりがあったりして、弱肉強食の世界の名残であったとしても、いまでも苦々しく思うこともたくさんあり、なんだかそればかりでまとめられてもとおもい、この記事を書くような方がいてうれしくおもいました。 

nouko
2009年01月22日 14:21
※面とさん、コメントありがとうございます。
人間は、科学者であっても「個人の価値観(基準・尺度)」を無自覚に「人間の価値観(基準・尺度)」だとして、動物や自然を分析してしまうことがあります。
一見、客観的な理論の衣をかぶせて、そうした価値観を表明することを諫める『二重の擬人主義』、『自然主義の誤謬』という言葉もあります。
自然は、動物の世界は、本当に弱肉強食の世界なのでしょうか?案外、人間の価値観通が強く投影されているだけなのかもしれません。
*面と
2009年01月23日 13:51
全くその通りだと思います。 言葉足らずですみません。その人間の価値ということについて考えます。 だから今動物たちについていわれてること、ディスカバリーチャンネルなどもそうですが、ほんとにそうなのか?と考えることは必要だと思う。これってほんとに! だって動物とかいわれちゃうと納得させられることが多いのですもの。それは、もちろんテレビなどは編集されているし、本なども個人の価値観 が反映されているのだと思います、それが人間の価値観、世間の価値観などにみえてしまう。
行き過ぎかもしれませんが
たまに世間の底辺に暴力、権力至上主義の流れを感じるのですね、暴力とは何だろうとも思うのです。それというのも先に話しがあったような、殺しですね。恐怖というものが恥だとかひどいことが人間をかたまらせたり、うごかしたりする。こうして女が殺されるという時代(?のせいもあるのか?デモ未だにそういう場所もあるだろう)の不条理をきくと、これは問題だ。と思ってしまうのです。気持ちとして納得できない。 場所がないということ、お前はここに座っていいけれど、お前はここに座っちゃいけない。   
nouko
2009年01月24日 22:58
*面とさんは「動物は弱肉強食である。人間も動物である。だから人間も弱肉強食で当然だ。」という意見に違和感を覚える、というようなことをおっしゃりたいのでしょうか。
人間が動物であり、動物としてどういう性質を備えているかということと、今の人間がどのように生きるべきか、という議論は本来、直接つながる話ではないはずです(「自然主義の誤謬」)。
人間は直立二足歩行をする動物です。なら人間は空を飛ぶべきではないのでしょうか?
人間は常に歩くべきで、家畜や車や電車を使うことは「悪いこと」でしょうか?
もちろん、世の中には色々な考え方をする人がいますから、上記のように考える人もいるでしょう。
でもあなたはどうですか?
私は飛行機に乗りたいし、機会があればパラグライダーなどもやってみたいです。
歩くことも嫌いではないですが、電車も車も使ってはいけない社会には、できれば住みたくありません。
人間が暴力をふるう性質を持っていたとしても、だからといって暴力をふるって当然だ、なんていう社会に、私は住みたくないです。そうした社会にしない為に努力したいですし、人間はそうした努力をしてきたと思います。
*面と
2009年01月26日 22:45
全くそう思います。ただ、毎日のニュースを見たりひどい情報を耳にすると、どうやって言葉にしていいのかわからなくなるのです、noukoさんのように他のひとにそういってもらいたかったのでしょうかね。人間は社会をつくってきてそうした努力を続けてきたと思っています(思いたいです)それが希望です。『自然主義の誤謬』ですか。これはとても気になることです。もっとはっきりと自分の言葉になるように反復したい、知りたいと思います。ありがとうございます。

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