親しい人の死

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過去に亡くした知人や友人に急にすごく逢いたいと思ったとき、頭を抱えたまま叫びだしたい衝動にかられることがある。土を掘っても、街を探しても、世界中の何処を探しても、その人はいない。空をむなしく掻き続けいているような行き場のない苦しさが胸の中に溢れてくる。死んでも人は人の心の中で生き続けている。と生きている人はいきている者同士で慰めあうけれど、心の中でしか存在できなくなった人は生きている人ではない。逢いたいと思う強い騒動は、その人の声を聞き、息を感じ、笑ったり怒ったり、触ったりしたいという、温かい肉体への執着なのだと思う。

大貫妙子 「散文散歩」 p152-153
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確かに記憶の中では、亡くなった人は永遠に生きているけど、どうしてもその体のぬくもりを感じたい、永遠に失われたからこそ、狂おしいほど焦がれる。
大切な親しい人の死に対して、人が感じる絶望感とか、どうしてそんなに「体が生きていること」にこだわるのか、ってことの、すごくプリミティブな、生々しい部分がよく表現されている言葉だと思う。

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この記事へのコメント

サトル
2005年04月18日 14:47
ちかごろ無性に「太く短く生きたい」と思う...
なーんだか...未来への絶望感だけがつのる!

後のコトは任せたから、よろしく♪
...お先に逝きます、さようなら。

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