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zoom RSS 【育児】 感情発達(心理学評論)

<<   作成日時 : 2010/12/16 14:27   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

ここ数年、「心理学評論」という学術雑誌を定期購読しているのですが、出産してからここの発達関連の論文に、俄然興味がわくようになりました。
出産前は生後6ヶ月と1歳の違いがイマイチ実感としてわからなかったのですが、今はよくわかるので、発達の論文がぐっと理解しやすくなった、ということもありますが。

時々おもしろい特集もあるのですが、今年ヒットだったのは下記の特集

心理学評論Vol.53, No.1(2010) 特集:感情発達


子育てしていると、「まだ小さいから何もわかっていない」という考えと、「なんでもこんなこともわからない!(なんでそんなことするの!)=大人と同じような感情があるととらえてしまう」の両極端の対応をとってしまいがちだと思います。
この特集を読んでいると、全ての感情(喜怒哀楽、罪悪感、恥、誇り、嫉妬、etc)が生まれた時から備わっているわけではなく、それぞれの感情が異なる時期や段階を経て発達してくるのだということがわかります。

例えば、驚き・喜び・怒り・悲しみ・恐れ・嫌悪といった感情は6ヶ月頃にはあるけれど、照れや妬み、共感は「客観的に自己を認識」ができるようになる(鏡に映った姿が自分だと認識できる、など)2歳頃に発達する。
当惑・怒り・恥・罪悪感などは「基準やルールの獲得・保持」ができるように3歳頃に発達。

この分野は、まだ研究途上なので、上記の内容も有力な仮説のうちの一つで、これで決定、というわけではないようです。
でも考えてみれば、客観的に自己をとらえて、「他者が『自分』をどう見ているのか」と考えられなければ、誇りも妬みも恥も罪悪感も感じることはできないですよね。

多くの霊長類(哺乳類)では、離乳するまでには、社会のルールは無視してよく、赤ちゃんは何をしても許されるけど、離乳する頃には社会ルールに従わないと(例:優位な個体に挨拶しない)、オトナから怒られるようになります。
ヒトでも、狩猟採集民の社会では、やはり離乳する3歳頃までは、子どもは何をしても許されて、甘やかされて育つ一方、離乳する(下の子が生まれる)頃からは、厳しくし社会のルールをしつけられるようになるそうです。

ヒトが3歳頃に(生物学的に)基準やルールを獲得・保持できるようになるなら、この頃から社会のルールを厳しくしつける、というのは理にかなっているのかも。
というか、子どもだけでなく、しつけようとする親にとっても、わからない(=ルールを理解できる基盤がない)状態の子どもをしつけようとして、上手くいかなくてイライラするよりも、わかるようになってからしつける方が楽なのでは?と思いました。

今、1歳6ヶ月の娘をみていると、ルールを理解しているように見えることもあるけれど、ルールをルールとして理解しているというよりも、「こういう状況ではこういうふうに振る舞う」という学習(経験)によって身につけた「習慣」なんじゃないかと思います。
だからルールを破ったからといって(状況に添わない行動をしても)、罪悪感や恥は感じない一方で、ルールを守れたという誇りもないのでしょう、おそらく。


この特集の中で他にもおもしろかったのは、罪悪感としつけの話

>力の行使によるしつけや愛情の除去によるしつけは、子どもの混乱、恐れや不安を引き起こすために、子どもが他者よりも自分自身に目がむいてしまい、自分の過ちを知らせることができない(Hoffman 2000/2001)。
(石川隆行「罪悪感の発達」心理学評論Vol.53, No.1 p84)

最近の育児書ではよく、しつけについて、怒ったり無視したり、ご褒美でつったりするのではなく、「なぜそれをしてはいけないのか、理由を説明してよく言い聞かせる」ことを推奨しているけれど、それの根拠はこういうことなんだろうなぁ。
もちろん、言い聞かせるしつけ、は最近のことではなく、昔から行われていることだろうけど。


それからちょっと意外だったのは「感謝」の感情が発達するのは8歳頃から経験される、ということ。
感謝を表す「ありがとう」は親が子どもに言わせようと努めるし、実際に8歳より前から言うようになる子がほとんどだと思うけれど、本当の意味で感謝の気持ちを実感できるようになるのって、意外と遅い(思い上がりや尊敬と同じ時期に発達する)。

>他者に自発的に「ありがとう」というためには、他者が意図的に自分を助けたという認知が必要である。
(有光興記「ポジティブな自己意識的感情の発達」心理学評論Vol.53, No.1 p131)

もう一つ、「怒りや恐れ、恥といったネガティブな感情の発達に比べて、愛や笑い、ユーモアなどのポジティブな感情の発達について研究が少ないのなぜか?」という疑問と、下記のような考察が印象的でした。

>必要は発明の母というが、それは感情発達の研究にも当てはまりそうな気がする。子どもの反抗とか怒り、恐れなどのネガティブな感情は、親の神経を逆なでするし、子ども同士でいがみ合っている時、保育者も何らかの対応を余儀なくされる。そのようにして研究の必要性が認識されやすいのかもしれない。
(氏家達夫「発達研究が捉える感情は生ぬるくなってしまったのか?」心理学評論Vol.53, No.1 p61)

氏家さんの論文(他の論文に対するコメント)は、全編興味深かったのですが、「怒りを制御できるようになる為には怒りを経験しなければならないのか?」ということに関するコメントもなかなかおもしろかったです。

>かって、日本では、幼児期までは子どもに欲求不満をあまり経験させないような子育てが行われていたと言われている(松田、1973参照)。親は、子どもに強いネガティブな感情を起こさせないように気をつけていたし、赤ちゃんが泣くとすぐ抱き上げ、おっぱいを含ませ、なだめていた。そして、それでも子どもたちはある年齢になれば、今でいう感情制御ができるようになっていたのである。
(中略)
そもそも、われわれは、めったに強いネガティブな感情、例えば身を滅ぼしかねないようなネガティブな感情を経験していないに違いない。もしそうだとすれば、そんなめったに起こらないかもしれない危険に備えるために資源を使うのは無駄ではないのか。
(氏家達夫「発達研究が捉える感情は生ぬるくなってしまったのか?」心理学評論Vol.53, No.1 p60)

これは、(めったに起こらないような)「強い怒り」などのネガティブな感情を制御できるようなるために、子どもはネガティブな感情を自分自身で経験しなければならない、その(経験の機会を)親が奪ってはならない、という(少し前までの育児書で主流だった)アメリカ中流階層の感情や感情制御の発達モデルへの疑問、なのですが、個人的にも納得。

話はちょっと横道にそれますが、戦後、日本には人工ミルク万能主義や、(子どもをベビーベッドに一人で寝かせるなどの)自立を促すアメリカ式子育てがどんどん導入されて、戦前の子育て文化が少数派に追いやられてしまいましたが、それを再評価する動きが、近年、盛り上がっているような気がします(褒める子育て、おむつなし育児、母乳育児などなど)。


育児書や育児雑誌はそんな読んではいないのですが、たまに読むと、多くは「こういう時はこういうふうに行動しましょう(考えましょう)」という書き方で、「『なぜ』そういうふうに行動すればよいのか」という理由(根拠)はあまり書いてないような気がします。
発達の論文を読んでいると、「『なぜ』そいうふうに行動すればよいのか」という理由(根拠)がわかることもあります。
それに発達の論文を読んでいると、大人になった私にとっては、「当たり前」と思っていたことに疑問をつきつけられて、別な見方を考えさせられることもあり、おもしろいです。

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